何とかなれ 200週

こんにちは、俵と言います。

私の幸福論

  • まず前提として、

人生で起きる損すること、得すること、嬉しいこと、悲しいこと(起こる事全て)は、偶然性による状態による必然的に起きたことだと認識している。(不確定性とかは気にしてられない 人生 くらいならマクロな視点で考えても差し支えないと思ってる。)

状態が問題なのであっていいことしても悪いことしてもその人自身がどうだということは他人には決してわからない。決めつけられるその人の状態は移り変わるものだし、決めつけるその人の状態も変わりゆくものだからだ。

その人自体がいい悪いと断言できるようなことは、何一つ起こりえない。(菜根譚

この文章では自分というものを今考えている自分という風に定義しています

これを前提として、幸福を阻害する諸問題に負けないような考え方をまとめる。

  • 自助 (yes他責思考 no被害者思考)
  • 自己防衛の客観視(本当に役に立ってるかその機能)
  • 人事を尽くす  (思考は偶然性に含まれる)

の3点。

守れてたら大体の充足は得られる。不満で社会に牙を向こうと思うこともなくなるだろう(私の場合)。

せつめい

 

 

自助 (他責思考と被害者思考で区別する)

 

説明

前提からして自分が受ける被害や不名誉などは必然的なものであって、今それ悲しんでいる自分が悪いという訳ではない。(原因はあるけれど原因となる状態であったことは必然であったから)

問題なのは、どんなに理不尽に感じる被害を受けたとしても、その影響を受けてこれから人生を生きていくのは他でもない自分自身であることだ。

法律上での責任の所在が分かりやすくて、敵がわかりやすく、何らかの保障してもらえる場合なら私は何も意識せず、受けた被害について悲しんで、保障をしてもらうことができる。受動的でもそれ相応は大抵帰ってくる。

しかし、大体の不利益は責任が分散していて、明確な敵もわからず、保障もされようがない。ただ悲しむことだけは変わらない。この場合受動的では何もかも失う。

そして、上記のわかりやすい被害というのについても、本当の原因は法律上の責任者に本当にあるのか?というところも考えておきたい。加害者にも複雑な要素が関わっているのだ。偶然的に割り当てられた状態による必然さを考えると、何が原因で何が敵でどこを恨めば良いのかという問題は追いきれないもので答えが出せない事だとわかる。

災害に巻き込まれる感覚に似ている。地震で道路がダメになっても、いつまでも車を走らせないわけにはいかない。地震が起きたのは必然だったし、責任者がどこかにいる訳でもなく、保障もされない。能動的、被害を受けた自分たちで道路を直していく他ない。(こういう意味で自助)

後に繋がる話だけれど、陰謀論とかを唱えたがる人たちは自分の不遇さに関して、何処かに絶対的な責任者を作りたいのではないのか。(自己防衛)(全く解決に繋がらないし、状態をますます悪くする)

 

まとめる

受ける被害や不利益、悪い状態は必然的なもので、絶対に自分のせいではない。

複雑な要素が絡み合い必然的で決まっていた事で、絶対的な責任者もいないし真っ当な恨みは不可能。しかし、被害は自分の中で残り続ける。

故に被害者思考は何の役にも立たない。

能動的に、自分で状態の改善を目指すというのが結果論として、状態の改善に一番繋がる。

要は

他責思考だけど、解決するのは自分だよを言葉にして分かっとく

ということだ。

 

自己防衛の客観視 (強い人には関係ない)

 

正常な精神を保つための自己防衛(防衛機制)だが、少なくとも現代社会においては(特に私なんかは)かえって状況を悪化させて余計精神に負担をかけるようになってるんじゃないか、うまく噛み合っていないんじゃないかと思う。

否が応でも受け止めなければいいけない、立ち向かわなくてはいけないこういった状況に回避が働く。

もっともらしい理由をつけたり、逆張りしてみたり。

追い詰められたときにこういったことで機能してしまうと、自分を守るための機能が自分をさらに追いやることになる。

防衛機制は刹那的な自分の精神を守るためだけに機能し、中期的なことなんて全く関係ないのだから、追い詰められているときは自分の変化に敏感に。客観的に見られるようにしないと自分の機能に人生を壊される。

 

まとめる

弱者ゆえに余裕がないゆえに、強力に働く自己防衛は恐ろしい。客観的に監視したい。

 

 

人事を尽くす

 

突然だが、私には運が良かったと自負するべきことが二つある。

それは、偶然必然の話、どうしようもなさについて理解が至り、自分が実行できる小階段法を考えついたことだ。

もう一つはそれを実行できるだけの環境があること。

偶然性による状態によって必然的に起こることがこれから先も起こっていくわけだが、その偶然性の中には、自分の頭で考えて実行し獲得した状態も含まれる。

つまり、自分自身の状態を改善することができる方法を考えついた時点で運がいいということになる。

そして、人事を尽くすというのはこの小階段法で向上させることのできる状態を限界値まで引き上げようとして続けることだ。

これが自分の考えの及ぶ今のところの最大の範囲であるから、これに真面目に取り組むことが人事を尽くすことだと言えよう。

逆に今はそれしかできない。

 

まとめる

 

考えの及ぶ実行できる範囲を真面目に守る